92歳の老婦人が俳句に込めた鮮烈な戦時体験


銃撃に 追われし記憶 菊無残

 

詠んだのは92歳になる老婦人である。

ある句会で詠まれたものをたまたま目にしたのだが、その鮮烈さに驚いた。

この句の背景を知りたく、さっそくご本人に取材を申し込んだところ快諾していただいた。

彼女の生まれは1926年(大正15年)である。

もともとは東京育ちだが、1942~43年頃、父親の転勤で名古屋の鳴海町(今の名古屋市緑区)に移った。

付近には中央発條という軍需品のバネを製造する工場があり、当時の若い女性がそうであったように、工場動員されることになった。

軍需工場であるので、毎日のように空襲警報が鳴ったという。

ある日(1943年秋ではないかと推測されるが)、警報が鳴り、防空豪へ逃げようと建物の壁伝いに走っていると一機の戦闘機が低空で機銃掃射を行ってきた(戦闘機はP51マスタングらしい)。操縦士の笑っているような顔まで見えたという。

間一髪、近くの菊の花壇に飛び込んだ時、咲き乱れる菊を下敷きにしてかわいそうなことをしてしまったということと、その菊が強く香ったことを今でも思い出されるそうだ。

それを詠んだものがこの句である。

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それからしばらくして名古屋は大空襲をたびたび受け、壊滅的に破壊されることになる。

取材中、戦前や戦時中の市民生活にも話が及んだが、こんな戦争はがおかしいと思っても周囲の愛国婦人会、国防婦人会をはじめとする「目」に、いつ密告されるかもしれないのでそういうことは一切口に出すことはできなかった。

また、召集令状(赤紙)が来て出征する兵士を近隣の住民は必ず見送ることになっていたが、生きて帰れるかもわからず、その家族の顔を見ることができなかったという。

『銃撃に 追われし記憶 菊無残』の「菊」は、秋の菊の花の花壇を思い出して詠ったものだが、「菊」に日本を誤った方向へと猛進させた「国」になぞらえることもできる。

この老婦人は、戦前、戦中、戦後を生き、結婚し、今は子供や孫に囲まれているごく一般的な市民である。

その一般市民たる彼女が最後に一句詠んでくれた。

 

くり返す ことなき世たれ 敗戦日

 

この記事の執筆者

FREE AGE 編集部

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