東京都小金井市小金井公園にある「江戸東京たてもの園」
平成5年に武蔵野郷土館から江戸東京博物館の分園として、敷地面積7㌶の広大な面積に新たに整備されオーオプンしました。
文化的価値の高い建物を移築し保存しています。
街並みの保存、復元建造物、生活再現、遺跡・遺構展示など、郷土館のころから考古・歴史・民俗資料などの保存展示など幅広く、武蔵野にあった建物や東京中から移築された建物がそのままに展示されています。
森林や野草ゾーンでのお散歩もでき、千と千尋の世界観や、大正時代のカフェで休息出来たりと、まるで映画のセットのような異世界が広がります。
常盤台写真館 板橋区常盤台
昭和12年建築 戦争の真っただ中、電灯や照明も発達していない時代に撮影所には大きな窓を取り付け工夫しています。
デ・ラランデ邸 新宿区信濃町
明治43年頃建築 もとは平屋の洋館をドイツ建築家のゲオルグ・デ・ラランデ氏によって増築されました。
以後昭和31年から三島海雲氏(カルピス株式会社創業者)が住んでおり平成11年まで信濃町に建っていました。
こちらにはカフェ武蔵野茶房があり、邸内やテラスで美味しいティータイムやお食事ができます。
農家 綱島家 世田谷区岡本
江戸時代中期建築 多摩川沿いの茅葺民家で広間には長方形断面大黒柱がそびえる広間型の家屋です。
この日は囲炉裏で茶がたてられ、風車を作るイベントが行われていました。
庭先では、畑があり作業する学芸員の方が鍬を持ち手入れをしていました。
髙橋是清邸 2・26事件の現場 港区赤坂
明治35年建築 大正10年 高橋是清は内閣総理大臣に就任し、以後、昭和11年まで政界に精通し81歳の2月26日赤坂の私邸にて乱軍襲撃部隊により胸に6発の銃弾を撃たれ、暗殺されました。
主屋部分のみ移築され、二階が是清の寝室書斎になっており、暗殺の現場となりました。
昭和11年2月26日 早朝、兵士十数名がなだれ込み、白い寝間着姿で寝室の布団の上に座っていた是清に銃弾と軍刀を切りつけて即死だったと説明書きがありました。
是清が好んだ庭の様子を眺めたであろう回廊の明治ガラスの風景は、千と千尋の神隠しを妄想させます。
懐かしい町並み 東ゾーン
昭和の色濃く残る街並みを再現した場所には、醤油屋、居酒屋、銭湯、文具店、乾物屋、和傘商店、旅籠、荒物店、生花店などが並び、千代田区神田にあった万世橋交番や都電などが一つの街のように配置され展示しています。
千と千尋の神隠しのモデルとなったといわれる、街並みや、商店がたくさんひしめき合います。
釜爺の仕事場、湯婆婆の油屋、千尋の両親が食べまくる居酒屋、ハクが飛び込んでくる明治ガラスの建物・髙橋是清邸、かおなしと乗り込む電車・都電、などを連想させる建物が並びます。
小寺醤油店 港区白金
大正期建築 味噌や醤油、お酒などを取り扱う商店。
出桁造りは江戸時代に一般的だった町屋造りで軒を前に張り出した商店らしい立派な構えになっています。
銭湯子宝湯 足立区千住
昭和4年建築 大型唐破風、脱衣所の格子天井、宣伝の看板や桶、富士の壁絵などが懐かしく温かみがあります。
武居三省堂文具店 千代田区神田
明治初期の創業のころは書道用品の卸業でした。
震災後建てられた、タイル貼の建物です。
万世橋交番 須田町派出所 千代田区神田
明治時代の建築で神田万世橋のたもとに建っていました。
大和屋本店 乾物屋 港区白金台
昭和3年建築 看板建築・資力の乏しい中小企業等が関東大震災後に洋風建築を取り入れました。
それまでの町屋の出桁造りから変わったり取り入れたりし建築された建物です。
やはり火事に強いことからタイルやレンガなどが使われ、まさに看板・正面を豪華に飾った職人さんたちの腕の見せ所だったのでしょう。
店の脇から、裏路地に抜けると民家としての玄関があり、入口には流し場があり物干しがあり、生活感にあふれています。
空き地には大きな土管が並べてあり、休日に子供たちが竹馬をしたり、たが回し、ベーゴマ大会などイベントが行われ、賑わっています。
糧(かて)うどんと呼ばれる武蔵野うどんがいただける「蔵」うどん店があり、コシの強い食べ応えのある美味しいうどんや、お団子など一休みできます。
紹介しきれないほど、たくさんの建物があり、ひとつひとつじっくり見て回っても一日では足りません。
今昭和が新しいと話題ですが、懐かしむとともにそこから生まれた映画や、戦後を生きた人々、震災に耐え抜いた住宅を見ていると人の強さを感じます。