心を洗う秩父路・・・鉱泉と札所巡りで身も心も清められるような旅


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秩父を訪れるようになったのは三十年ほど前からだろうか。
 親孝行のつもりで母と秩父三十四観音霊場、つまり札所を巡ったのが最初だったように思う。とくに信心深いわけでもなかった母が秩父を札所に心引かれた理由を私が察するには、まだ若かったのかもしれない。
 古い寺に身を置くだけで、なんともすがすがしい気持ちになることができる。住職の居ない朽ちた寺でも、きちんと庭が手入れされ、お地蔵さんにはいつも綺麗な前掛けがかかっている。
 母が亡くなった後も何度も訪れているが、寺や山の風景は変っていない。
 巡礼装束を整えて金剛杖を手にするお遍路ではなく、気が向いたままに寺や神社を巡るだけなのだが、母と同じ年齢になって「心が洗われるような」という意味がだんだんわかってきた。

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札所がかもし出すやさしさと訪れた人々の祈りの跡が素朴ながらもたおやかに包み込んでくれる。何を願うわけでもなく、何を懺悔するわけでもない。ただ手を合わせ、頭を垂れていると気持ちが楽になってくる。心のしこりがほぐれるような気になってくる。
 癒されるというような簡単な表現では説明できない、言ってみれば少しく救われたとでも言うのだろうか。そんな感覚になるのが不思議だ。

日が落ちる頃、今日の宿に行く。
 武甲山の勇壮を右に見ながら横瀬駅付近から丸山林道に入る。七番札所と九番札所に近い。林道をしばらく行くと「丸山鉱泉旅館」に着く。

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山間の一軒宿で静かなたたずまいながら、部屋からは武甲山の山容が一望できる。

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この丸山鉱泉旅館の名物といえば名前の通り風呂で「花悦の湯」と命名されている。鉱泉沸かしたものに近くで採れたドクダミやゲンノショウコ、まつふじ、ヨモギなどの薬草を乾燥し煎じて溶かしています。
 入るなり、ふわっと薬草の香りがして、薄茶色の湯に浸かると、一気に疲労が逃げ出していく感覚になる。

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露天風呂もあり、木立の向こうに武甲山を望む風景は思わず長湯になってしまうほど。

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薬草湯に疲れを流し終わった頃には夕餉の時間。
 料理は山菜づくしで川の幸、山の幸、手打ちうどんや、山菜釜飯、猪肉陶板焼、地野菜天ぷら、そばがき、などなど工夫を凝らした献立が並ぶ。
 夜食に名物の味噌ポテトと焼きおにぎりが出てくるという、ありがたいもてなしもある。

都心からのアクセスが良い秩父であるが、札所といい一軒宿といい昔から営まれた風情は今も変わらない。
 レジャーとかリゾートとか言うカタカナ言葉ではない旅情が秩父にはあった。