チャレンジひとりドライブ

第九回「世界文化遺産の富岡製糸場を見たい」


「しかしまあ、富岡製糸場がよくんぞ残っていたもんだ」という話で旅することに

富岡製糸場錦絵

(「富岡製糸場錦絵」写真提供:片倉工業株式会社)

「富岡に立派な製糸場があってなぁ」と義母が言った。今年98歳になる。足腰ともまだまだ丈夫で元気なのだが、最近は甲州弁で昔のことをよく話すようになった。

義母の生家は山梨県の16代続く農家で養蚕も盛んに行なっていた。彼女が育った時代は日本の養蚕業のピークであり、家の中にはたくさんの繭床が置かれ、最盛期には寝る場所もなく、時には吊るした繭床の重さで天井が抜けてしまうこともあったという。

「噂でなぁ、群馬んほーに(の方に)、あちゃらさん(外国人)がいろいろ教えてくれる、とんでもねえ立派な製糸場あったらしいで」と富岡製糸場の話になった。

「世界遺産になったのよ」と教えると「まだあったのけ。よくんぞ残ってたもんだ」と感慨深げである。

言われてみれば、明治にできた製糸場が144年もの時を経て現存するのだ。俄然興味が出てきた。

長旅はちょっとという義母の代わりに富岡製糸場を見学して、報告するというのが今回のひとりドライブの目的となった。

 

最近は他の車のタイヤが気になるパーキングエリア

今回はよく利用する関越自動車道を藤岡JCから上信越自動車道に入り富岡ICまで100km少しの距離だ。ただし、いつものように先を急がず、高坂SAで休憩。

最近はタイヤの知識が増えたこともあってか、駐車場などでは他のクルマのタイヤに目が行ってしまう。

たまにだが、スリップサインが現れそうな磨り減ったタイヤや、溝はまだ十分にあるのだけれど、細かいヒビが見られ、経年劣化ではないか、というようなものを見かけることがあり、おせっかいとは知りつつも気になってしまう。タイヤは車にとって唯一の地面との接点。日頃から気にかけるようにしたいものだ。

さて上信越自動車道を富岡で降り、市街に向かうと鏑川(かぶらがわ)に沿った住宅街の中に富岡製糸場がある。

 

広大な敷地に明治の建物がそっくり残っていた富岡製糸場

日本は明治以降、製糸技術の向上による質の高い生糸が外貨獲得の役割を大きく担った。その技術向上に大きく寄与したのが富岡製糸場だった。

フランスから技術を導入し、近代的工業化の官営の模範工場として1872年(明治5年)に設立されている。その後民営となり、1987年まで115年もの間、稼動し続けた。

 

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門を入ると、まずそのスケールの大きさに驚かされる。目の前に建つのは東繭倉庫で、建物の長さは100mを越える。

広大な中庭を囲んで、向かいには同じ長さの西繭倉庫、南には長さ140m繰糸所が建っている。

この3棟は国宝に指定されている。

 

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繰糸場というのは繭から生糸を生産する作業場であるが、設置された繰糸器の数は300釜で、同時代の他の工場と比べて群を抜いていた。

動力は蒸気機関、加熱はボイラーという当時では非常に進んだものであった。

 

1日8時間労働。週休1日。夏冬の長期休暇があった工女

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設立当初は、官営の模範工場という意味合いもあり、工女の待遇は1日平均7時間45分労働(季節により変更)。週休1日。夏と冬に10日間の休暇もあったという。また一般教育のために「工女余暇学校」が設置された。

写真は設立時の指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが宿舎として使っていたものだが、後には工女の教育施設として使われている。

熟練した工女たちは、後に全国に建設された製糸工場の技術指導者となっていった。

中でも知られる横田英は松代藩士横田数馬の次女として生まれ、工女募集責任者の父の影響を受け国営と家名のため、自ら進んで工女となる。「富岡日記」の著者である。

義母の言っていた、「とんでもねえ豪華な寄宿舎のある製糸場」で働く憧れの工女さんたちだったのである。

 

これだけの規模の建造群がなぜ現代まで残っていたか

規模にも驚いたが、内部を見てその保存状態がよいことにさらに驚いた。今にも再稼動できそうである。

ブリュナ館やフランス人の女性技術指導者のために立てられた女工館などもきれいに保存されている。

1987年(昭和62年)まで現役として活動していたのだが、その間、使い勝手だけを考えれば施設の建て直しを考えるだろうし、閉業すれば、敷地の再開発などを当然考えると思うのだが、富岡製糸場は設立当初の姿を残し、世界遺産として認定されるに至った。

「なぜ、富岡製糸場は明治5年設立当初の姿を今に留めることができたのか」

さっきまで使っていたのではないか、というようなブリュナ館のテラスや診療所(昭和15年造建設)の廊下などを覗いているうちに、この疑問がどんどん膨らんできた。

展示資料などいろいろ見ているうちに、どうもそれを解く鍵が熊谷にあるということがわかってきた。

 

片倉工業という会社

富岡工女 繰糸(昭和15年頃)

(写真提供:片倉工業株式会社)

富岡製糸場は1893年(明治26年)に民営となり、1939年(昭和14年)日本最大級の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現片倉工業株式会社)が引き継いだ。

前経営者である原合名会社から、片倉以外「この由緒ある工場を永遠に存置せしむる」委任先がないという意思を受けての移譲だったという。

その片倉工業も需要の減少などから1987年(昭和62年)富岡製糸場の操業を休止し、1994年(平成6年)同社熊谷工場を休止し、蚕糸業から撤退する。

しかし、2005年(平成17年)に富岡製糸場の建物群を富岡市に寄贈するまでの18年間、休止した富岡製糸場を保全、管理し続けた。

管理維持だけで年間1億円以上かかったという。民間企業がなぜここまで維持、存続にこだわったのだろう。

 

「売らない、貸さない、壊さない」

片倉工業のラストファクトリーであった熊谷工場跡地の一角に同社が運営する「片倉シルク記念館」という博物館がある。富岡から熊谷までは約60km。さっそく行って見ることにする。

 

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高速を関越自動車道まで戻り、花園ICを降りて熊谷方面へ。17号線に入るとすぐ右手に熊谷片倉フィラチャー(イオン熊谷店)が見えてくる。ここが熊谷工場の跡地。

この工場の繭倉庫だった建物が博物館「片倉シルク記念館」として残され、近代産業遺産にも認定されている。

館内は実際に使用された繰糸機など豊富な展示物で製糸の行程が説明されている。

片倉工業熊谷工場で実際に社員として生産に携わり、現在は記念館の管理員を勤められる垣堺さんに貴重なお話を伺うことが出来た。

1987年(昭和62年)3月5日に行なわれた富岡工場(富岡製糸場)の閉所式で、当時の同社社長柳澤晴夫氏が閉所後も建物の管理・運営を行なう方針を挨拶の中で述べている。

その歴史的、文化的価値の高さはもちろんのこと、富岡製糸場が創業以来担ってきた富国繁栄、殖産興業の意気を後世にも伝えていくのは操業に携わった企業の責務であるという。

実際、2005年(平成17年)富岡市へ建物が寄贈されるまでの18年間、莫大な維持費をかけながら「売らない」「貸さない」「壊さない」を貫き通し、富岡製糸場を守り抜いている。

片倉家(片倉工業創業家)家憲というものの中に「事業は国家的観念を本位とし、公益と一致せしむること」というものがある。

この中に富岡製糸場を今に残した片倉工業という企業の姿勢を見ることが出来る。

日本の製糸産業を知るなら富岡製糸場とこの片倉シルク記念館をセットで訪れるのがお勧めである。

 

ふと立ち寄ったカフェにも人を大切に思う心があった

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富岡製糸場入り口前のカフェに入ると「製糸場にいらっしゃったのですか。お疲れさまでした」とやさしい声が迎えてくれた。聞けばこの「カフェドローム」は明治8年に建造された古民家をそのまま利用しているという。富岡製糸場が出来た頃から、関係者の宿として使われていたそうだ。

製糸場を支えた人々の心意気を伝えられればと、建物をそのまま利用しカフェに改装したそうだ。

二階には製糸場の歴史を語るパネルなども展示してあり、見学帰りにはぜひ立ち寄りたい。

落ち着くスペースでゆったりカフェラテと美味しいシフォンケーキをいただきながら義母の言葉を思い出した。

「お蚕には、読み書きも、裁縫も、生きていく方法も教わったでよ。女が働くのは大変なこつやったで」

 

今回は、約400kmの程よいドライブであったが、片倉工業という日本の製糸業の一翼を担った企業のプライドと心意気に触れることが出来た。

利益利潤だけを目指すのではなく、国に、社会に、文化に貢献する企業姿勢に新鮮なものを感じることができた。

また、養蚕農家として、工女として、女として激動期の日本の発展のため若き乙女の時代を捧げてきた義母をあらためて尊敬した。

 

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文:岡よしみ

 

取材協力:

富岡市世界遺産部 富岡製糸場
  群馬県富岡市富岡1-1
  http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

 

片倉工業株式会社
  東京都中央区明石町6-4 電話03(6832)0223
  http://www.katakura.co.jp/

 

シルク記念館
  埼玉県熊谷市本石2-135 電話048(522)4316
  http://www.katakura.co.jp/company/memorial.htm

 

カフェドローム
  群馬県富岡市富岡51-4電話0274(67)1123
  http://www.cafe-drome.com/