チャレンジひとりドライブ

第八回「シュールな石仏もある甲州街道。伝承、民話の旅(後編)」


広大な葡萄畑が迎えてくれた。甲斐の道。

2甲州街道図本編

 

今回は甲州街道を走り、街道沿いの宿場に伝わる民話を訪ねようという旅の後編。クルマは大月を過ぎ笹子トンネルを抜け甲府盆地に入っていく。

ここまでは「切られてはかなわん」と根っこを曲げたたこ杉や和尚に化けた狸、桃太郎の武勇伝といったどことなくユーモラスな民話が多かった。

これが甲府盆地側に入っていくと少々様子が変わってくる。

民話というより仏教的背景を持つ伝承が多くなる。それも古来信仰対仏教、もしくは古来信仰が仏教に入れ替わるという出来事を描いたものが多い。

思うに、大月までは江戸庶民文化の影響を受けたため、民話にもエンターテインメントな脚色が加えられていったが、笹子峠で隔てられた勝沼より西では古来の伝承がそのままの形で残されたのかもしれない。

 

さて、甲府盆地の入り口は勝沼である。一面に葡萄畑が広がってくる。

勝沼の葡萄は歴史が古く、荻生徂徠が『甲斐国志』に甲州葡萄を紹介しており、芭蕉も句に残している。

葡萄にちなんだ伝承があった。

 

文治元年(1182年)雨宮勘解由という者が城の平で行なわれる石尊祭に行く途中、山道で珍しいツルの植物を見つけた。持ち帰って大切に育てると5年後葡萄が房をつけた。勘解由は村の人に苗を分け広め、これが甲州葡萄の始まりである。

 

石尊祭とは、山梨や関東に見られる石尊信仰(巨石や石を信仰する)の祭事である。同じ山梨県の笛吹市にある下黒駒天神社では石尊祭が奇祭として今でも行なわれている。

勘解由伝説は「石尊様」のご利益として葡萄を授かったという古来信仰を背景としたものだが、一方では1200年前、行基上人が薬師如来の導きによって葡萄を伝えたという伝説もある。このとき建立したとされるのが勝沼の大善寺なのだが、どうも寺の権威付けのために作られた話のような感じがしないでもない。

 

街道は、石和、甲府、竜王と甲府盆地の中央部を抜けていく。

この竜王に古くからの泉があるという。泉は竜王駅近く、慈照寺の境内にあった。

 

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昔、釜無川の竜王淵に悪い竜が棲み、大水を出して人々を困らせた。そこで、慈照寺の開祖である宗見真翁禅師(そうけんしんおうぜんし)が竜を諭した。心を救ってもらった竜は清水を湧き出させた。この水はどんな日照りでも枯れることなく、またどんな少人数で使っても余ることなく、逆に大人数で使っても足りなくなることがないという。

 

古来信仰の対象と仏教が入れ替わる(もしくは仏に帰依する)というのは、よく伝承や民話の題材となる話だが、これもその典型であろう。やはり寺の建立とかかわっている。

竜王を過ぎてしばらく走ると韮崎に入る。道路右側に数十メートルの高さの切り立った崖が続く。これが30kmも続くので七里岩という名がついた。元は八ヶ岳から発した岩屑流(ガンセツリュウ)と呼ばれる岩なだれから台地ができ、これが釜無川により侵食され断崖を形成したそうだ。

中央高速から見ることはできないが、下を行く甲州街道は七里岩に沿っているので、その迫力を楽しむことができる。

この韮崎にも大蛇の伝承がある。時は天文年間というから戦国時代になる。

 

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下条村(藤井街)に住んでいた老婆が身をはかなんで七里岩を越え、釜無川を渡り、甘利山の中腹にある椹池(さわらいけ)に入水して大蛇に化身した。

山麓領主の二人の息子がこの池で釣りをしていると大蛇が現れて池へ引きずり込んだ。

領主は怒り、周囲の椹の木を切って埋め、下肥などを投げ込んだ。大蛇は赤牛に化けて大笹池に身を隠し、さらに逃げてどこかに消えた。

 

領主は甘利左衛門尉と伝えられるが、左衛門尉というのは官位であるので甘利氏の誰であったかはわからない。甘利山というのは山岳信仰の対象だったという。この話も領主甘利氏の後押しを受けた修験者、僧侶の仏教布教と古来の甘利山信仰との変換期が背景となっているという解釈があるそうだ。

椹池というのは甘利山の中腹、標高1240mの高さにある高層湿原の湖沼である。道路はあるのだが、冬季は車両通行止めになっており、残念ながら見ることは出来なかった。

 

甲府盆地から信濃にかけての甲州街道は起伏も少なく穏やかで、左に南アルプスを望み右に奥秩父、八ヶ岳を望む絶景が楽しめる。

その景色をゆっくり楽しむためには台ヶ原宿(白州町)で一休みすることをお勧めしたい。

台ヶ原は今でも古い宿場の雰囲気を残し、杉玉を吊るした情緒ある造り酒屋や和菓子屋が並ぶ。日本の道百選にも選ばれている。

ダイダラボッチ伝説が台ヶ原にもあった。ここではデーラボッチと呼ぶらしい。

 

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昔デーラボッチという、山のような大男がいた。その足跡は、一反歩(300坪)もあったそうだ。

大坊から教来石の池の平まで、歩いた跡があるといわれ、その跡は水たまりになって、どんな干ばつにも、水が枯れたことはないという。

 

ダイダラボッチとは山をまたぐような巨人のことで、日本全国に伝承されている。柳田國男は「大太郎法師」としている。

確かにこの雄大な風景を見ていると、南アルプスの山麓から谷間をひょいと越えていき、足跡が池になったという話もなんとなく納得できそうだ。

ここでは、仏教は登場せず、おおらかな巨人伝説が残されていた。

 

信州の道。いよいよゴール

教来石を過ぎると信州に入る。

八ヶ岳を右に見つつ富士見、茅野を通り諏訪湖に着く。

国道20号線は塩尻まで続くが甲州街道は下諏訪で中山道に合流し終点となる。

ここには諏訪大社下社春宮があり、その奥に「万治の石仏」がある。

 

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諏訪大社下社春宮に大鳥居を納めるためこの石を材料としてノミを入れたところ血が流れた。そこで材料にするのはやめて阿弥陀仏を彫った。それが建立されたのが万治3年(1660年)というので万治の石仏と呼ばれている。

 

つまり「神」のための鳥居となるのを嫌がったが、「阿弥陀仏」となることには納得した岩の話だ。よく考えれば由緒ある神社を向うにまわしてしてよくまあこんな逸話が生まれたものだと思うが、江戸前期の神仏の位置関係を考えると示唆的である。

ちなみにこの奇妙な形の石仏を画家の岡本太郎が絶賛したそうである。

 

甲州街道をゆっくり走る旅であったが、宿場に立ち寄り伝承、民話を見聞きすることで、出会った風景に奥行きが加わった。

武蔵や相模ではどこかとぼけたような民話が甲斐、信濃となるにつれて、古来信仰と仏教の対峙色が強くなり、あげくの果てには神より阿弥陀仏を受け入れた岩まで登場した。

この街道沿いに民話の数は多く、また街道を行くほどにグラデーションがかかるように話の内容が濃くなってくる。

民間伝承は人々の回りに起きた出来事、事件の記録のようなものだと思う。街道が奥まるほどにその記録が褪せることなく今に残されてきたのかもしれない。

不思議な石仏に別れを告げて、岡谷ICより中央高速で帰路につく。

そこまで来ている春の気配を感じながらの甲州街道往復500㎞の旅であった。

お世話になったスタッドレスタイヤは次の冬まで休んでもらい、夏タイヤに履き替えて次の旅に備えよう。もちろんタイヤのローテーションも忘れずに。

 

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文、絵 岡よしみ