チャレンジひとりドライブ

第七回「桃太郎伝説もある甲州街道。伝承、民話の旅(前編)」


桃太郎伝説を甲州街道に見つけたところから旅は始まった

桃太郎は岡山の話だとばかり思っていたら、甲州街道沿いにも桃太郎伝説があるということを知った。

こちらの桃太郎は桃(百)、猿、犬、雉(鳥)、鬼などが宿場名や付近の山名と符合していて妙にリアルである。

そういえば我が家にある古い絵本(「桃太郎」絵:斉藤五百枝、講談社)で桃太郎主従の後ろに富士山が描かれているのを不思議に思ったことがあった。明治期に菱川春宣が描いた浮世絵『伽噺桃太郎』にも 背景に真っ白な富士山がある。方角的に言えば、山梨県大月あたりから見た風景だろう。

桃太郎といえば「日本一」の旗印。日本一なら富士山。というような理由で描かれたのかもしれない。

興味が出てきたので、いろいろ調べてみると甲州街道沿いには桃太郎伝説以外にも伝承や民話の多いことがわかった。

甲州街道(国道20号線)はよく利用するのだが、せいぜい走るのは調布あたりまで。遠方に行く時は中央高速に乗ってしまうので、調布から先をよく知らない。

だいたい甲州街道がどこまで続くのかもよく知らなかった。

ここはじっくり甲州街道をどこまでも走ってみたくなってきた。宿場に伝わる民話を巡り、街道の終点まで行ってみるのも面白そうだ。

ということで、今回は桃太郎をはじめ、伝承、民話を訪ねて甲州街道を走ってみることに決めた。

 

準備は怠りなく、いざ出発。武蔵の道

この「チャレンジひとりドライブ」も7回目を迎えるので、タイヤだけでなくオイルなどのチェックも兼ねてまずタイヤ館へ。

オイル交換の合間にいろいろタイヤについて教えていただいた。中でもタイヤの溝にはそれぞれ種類と役割があるという話が自分としてはかなり勉強になった。

 

旧甲州街道は日本橋を起点に長野県の下諏訪まで続く。現甲州街道(国道20号線)は、ほぼ旧甲州街道に沿っており、下諏訪から中山道に合流して塩尻まで続いている。今回は旧街道にならい下諏訪を終点とすることにした。

 

2甲州街道図本編

いつもの始業点検をして、いざ出発。都心はさすがにクルマの量が多い。しばらく渋滞を繰り返しながら、新宿、上高井戸を過ぎ、調布に差し掛かる。ここまでは慣れた道だ。調布から先がチャレンジの開始。

八王子までは交通量の多い幹線道路だが、左右に見事な銀杏並木が続く辺りから交通量が減ってくる。まっすぐ行けば旧街道の小仏峠。国道20号線は左に曲がり高尾山を巻くように大垂水峠へと続く。

この高尾山には「たこ杉」という、それこそ蛸の足のように曲がりくねった根を持つ杉の木とそれにまつわる伝承があるということなので、さっそく寄ってみた。

 

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昔、高尾山の天狗衆が参道を整備していると、この杉の根が邪魔なので、翌朝切ってしまうことにしたが、杉の方では切られてはたまらんとその夜のうちに根を蛸の足のように折り曲げてしまった。

 

天狗というのは修験者のことだろう。高尾の伝承には天狗が出てくるものが多いが参拝者のための参道整備を天狗がやっていたというのはなんとなく修験の山らしい。

早朝にもかかわらず外国人の観光客が多い。さすがに人気スポットだけある。

 

相模の道

高尾山を境に都会の真ん中を走っていた国道が険しい山々に囲まれる。

大垂水峠のワインディングロードを下ると相模湖の手前で立派な門構えの建物が目に入る。旧小原宿の本陣だ。本陣とは大名や旗本、宮家、位の高い僧などが泊まる宿のこと。

この街道は徳川家康の逃避路として設置され、防御の砦とするため、宿場の数が多い。道が険しく、また宿場の数が多い割にはどれも小ぶりで、信濃高遠藩、高島藩、飯田藩以外の藩は少し遠回りでも参勤交代には中山道を利用したらしい。

この本陣にまつわる民話があった。

 

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鎌倉建長寺に棲んでいた古狸が建長寺山門建立のため欅(けやき)の寄進を頼みに相模の正覚寺を訪れ、その日、小原宿本陣に泊ってごちそうにありついた。朝になると寝床に毛が付いていたことから正体がばれて犬をけしかけられ狸に戻り退治されてしまったが、そもそも建長寺のためにやったこと。狸は仏の慈悲で人面石となり、今でも正覚寺に現存するという。

 

勧進がうまくいったので、本陣で羽目をはずした狸ということだが、建長寺の名を使った「騙り(かたり)」だったのではないだろうかということも想像できる。江戸時代、寺請制度などにより行政機関化した寺の権威は大きかった。そのため寺を騙った詐欺もかなり横行していたのではないだろうか。

 

相模湖沿いの道は、カーブが多く、高低差もあるため慎重に走る。

しばらく行くと藤野町(吉野宿)に着く。

小原宿から吉野宿まで約一里半。江戸時代、馬を使うと50文から75文ほどの道のりで、現在の価値にすると1,300円から1,800円。タクシー利用とさほど変わらない。

藤野(吉野宿)には、旧宿場の旅籠「ふじや」をそのまま残した藤野町郷土資料館がある。

 

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なかなか興味深い資料館で、養蚕や炭焼、鮎漁などの用具類から柳田國男や与謝野晶子なども楽しんだという桂川(相模川)の川下り観光の貴重な資料が保存、展示されている。

この近辺には吉野や桂川をはじめ嵐山、嵯峨など京都にちなんだ地名が多い。この地に来た秦氏が京を偲んで名付けたという話もあるが定かではない。

藤野町をすぎるといよいよ山梨県に入る。甲斐の国だ。

 

甲斐の道。

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山梨(甲斐)の玄関口は上野原。甲斐絹の産地として、また青梅街道につながる街道の起点として賑わった。この宿場時代のなごりで現在も酒饅頭店が12件ほど並んでいる。通りを歩くだけでいい匂いがしてくる。さっそくその中の一軒、永井酒饅頭店でいただくことにする。

 

この上野原から旧街道は山側を行くことになる。この旧道に葛飾北斎が「犬目の富士(甲州犬目峠)」を描いた犬目宿がある。

甲州街道(国道20号線)は相模湖に流れ込む桂川に沿って鳥沢、猿橋、大月と進む。

「猿橋」は日本三奇橋で知られた橋でそのまま地名にもなっている。

 

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ここは桂川と葛野川の合流地点であり、両岸は高い断崖になっている。橋は増水時に流されることがないよう橋脚を河原に建てない刎橋(はねばし)という独特の構造で作られている。

冒頭の桃太郎伝説はこの付近の話である。

 

街道の北にそびえる百蔵山(ももくらやま)から大きな桃が流れ出て、鶴島(上野原)に住むお婆さんに拾われた。その桃から桃太郎が生まれ、成長してから犬(犬目)、雉(鳥沢)、猿(猿橋)を供に九鬼山(大月南方)や岩殿山(大月北方)の鬼達を退治した。傷つき逃げ帰った鬼は血を流し、子神(ねのかみ)神社に鬼の血として赤土が残っている

 

甲府盆地と大月を隔てる笹子峠周辺の険しい山々を眺めながら勝手な想像を膨らませてみた。

武田家滅亡後、その残党がこの相模の国境の山々に逃げ込んだことは十分に考えられる。信長は北条、上杉に厳しい討伐を命令しており、農民にも報奨を下したという。

地元の豪族もしくは農民が、上野宿から大月宿にかけて人を募り笹子峠付近の山狩りしたのではなかろうか。

鬼がいたという岩殿山には元武田家臣、小山田信茂の居城があった。

信茂は武田勝頼を裏切り、離反したが、その不忠を織田信忠から咎められ、処刑されている。その残党が城や岩殿山に残っていたということもある。

後には家康によって迎えられる武田の残党だが、武田滅亡の時はこのようなことがあったのかもしれない。

 

さあ、大月から笹子トンネルを抜けていよいよ甲府盆地に入っていく。

どんな伝承や民話が待っているか。

 

(後編は3月25日掲載)

 

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文、絵 岡よしみ

取材協力

小原宿本陣 電話042-684-4780 神奈川県相模原市緑区小原698-1

よしの宿ふじや郷土資料館 電話042-687-5022 神奈川県相模原市藤野町吉野214

永井酒饅頭店 電話0554-63-0109 山梨県上野原市上野原1596

大月市観光協会 電話0554-22-2942 山梨県大月市大月1-1-33