チャレンジひとりドライブ

第四回「琵琶湖を一周してみたい」


琵琶湖に興味を持ったきっかけ

あの織田信長が入場料の受付係をやっていたというのはご存知だろうか。しかも天下統一直前の安土城でのお話し。

信長の家臣である太田牛一が記録した「信長公記」には、天正10年(1582年)の正月、大名や小名などが安土城に出仕した際、銭百文の入場料を自ら厩(うまや)口に立って受け取っていたとある。

天下の覇者信長としては茶目っ気たっぷりである。

この安土城は琵琶湖のほとりに建てられていた。政治、経済の要であった琵琶湖を見渡す位置に絢爛豪華な城を建て、天下に威勢を示した信長は、天主からどんな風景を見ていたのだろう。というのが今回のひとりドライブを思いついたきっかけ。

信長が見渡したであろう日本一大きい湖をぐるりと回ってみたい。

 

湖北から湖東へ。湖畔の風が気持ちいい

静岡以西はクルマで行ったことがないので、楽しみだ。しかも新東名高速道路を走ることができる。

まずはガソリンスタンドでタイヤの空気圧をチェック。適正空気圧はドア裏にステッカーで表示してあるが、タイヤサイズをいくつか表記してある車種もあるので気をつけたい。

新東名高速道路はサービスエリアがどれも新しく気持ちがいい。ただし、トンネルが多いのでいつにも増して慎重にゆったりと走る。

名古屋を経て小牧から名神高速道路へ入り、一路米原へ。とはいってもいつもどおりの休息三昧、ゆとりドライブ。それでもお昼ごろには米原に到着。

 

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さっそく湖岸へ。とにかく琵琶湖は広い。向こう岸は遠く霞んでいる。足元には海岸のような砂浜が広がっている。思いのほか水の透明度が高い。

クルマの窓を開け、湖面を過ぎる心地いい風を受けながら湖岸道路を安土に向かう。

 

安土城から信長はどんな風景を眺めたのか

信長は、湖南に坂本城、湖西に大溝城、湖北に長浜城を置いている。湖東に安土城を築くことで琵琶湖四方を固めたことになる。

信長はなぜ安土を居城としたのだろう。

京に近いこと、水運、交通の便、北国街道からの要衝などいくつかの理由があるといわれるが、それだけなのだろうか。

安土山は、後世に周囲が干拓され、今は湖岸より6㎞ほど内陸になっている。築城当時、城は湖畔に位置していた。当時、きらびやかに意趣を凝らした城は琵琶湖にひときわ映えたことだろう。

戦略上の意図もあったのだろうが、天下布武(天下統一)を目の前にした覇者としての自信と美意識が湖東中央の湖岸に自らの威勢を示す居城を築城したように思えてならない。

信長は天主からどんな風景を見ていたのだろう。ということが一番気になっていたので、さっそく石段を登る。

 

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本丸へ続く大手道は急斜面が続き、立ちはだかるような石垣や石段が迫る。後の築城技術に大きな影響を与えたとされるだけあって、すさまじいほど石垣だらけである。

いい加減、息が切れたころ本丸を経て天主跡にたどり着く。

 

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天主跡からの眺めは確かにいいが、山麓まで田畑に埋められて、琵琶湖畔は遠くに見えるだけ。干拓される前だったら、眼下に琵琶湖一帯を見下ろす美しい眺めだっただろう。(二つ目の写真は合成)。

 

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この天主跡はいろいろと想像をかきたてられる。たとえばここからだと本丸付近が良く見渡せる。

天正十年の正月、安土城は身動きが取れないほど人であふれかえったと「信長公記」に記されている。その盛況ぶりを天主から眺めた信長の得意満面な顔を想像するだけで面白い。

 

信長はここに至るまで数多くの戦を行なっており、時には冷酷無比とも言われる所業も多々ある。中でも有名なのがここより南西対岸にある比叡山の焼き討ちだろう。

なぜそこまで比叡山にこだわったのか。文献、資料はいろいろあるが、この目で確かめてみたい。

 

信長にとって立地的にリスクだった比叡山

大津から滋賀街道を経て比叡山ドライブウェイに入る。かなり深い山に分け入る道なのだが、きれいに整備されており走りやすい。

信長が、安土城完成の8年前、1571年に焼き討ちした比叡山延暦寺。浅井・朝倉両軍に味方した比叡山へ中立勧告を繰り返し、聞き入れられず攻め入ったとされる。

諸説あるが、やはり比叡山は北国や東国からの交差地であり、ここを敵である浅井・朝倉連合軍に陣取られると戦略上不都合なことになるのは事実であろう。

 

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なるほど、尾根から眺めると近江坂本や京都がすぐそこに見下ろせる。比叡山はこれらの重要都市に隣接しており、深山の中に延暦寺東塔、西塔、横川などの寺が散在している。ここを拠点にゲリラ戦へ持ち込まれたら苦戦するだろうと信長は考えたのではあるまいか。

訪れてみて初めて、信長にとっての比叡山の立地的脅威がわかったような気がする。やはり現地に来て見るに限る。

それから444年。延暦寺は再興され、この日は、4年ごと、6日間に渡って取り行われる「法華大会広学竪義(ほっけだいえ こうがくりゅうぎ)」が行われていた。深山幽谷に響く叡山の鐘の音は澄んでいた。

 

安土城の対岸。湖西・白髭神社

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比叡山を下り、湖西を走ると湖上に鳥居が見えてくる。近江で最古の神社、白鬚神社の「湖中大鳥居」だ。これは美しい。

近江の厳島と呼ばれたりするが、以前は水位が低く、大鳥居は陸地にあったのだそうだ。

この社は全国白髭神社150社の総本山で猿田彦命(さるたひこのみこと)が祭られている。

境内の大鳥居と水中大鳥居を結ぶ向こう側には沖島の奥津島神社があり、一直線に並ぶように立てられたそうである。向こう岸には近江八幡市があり、安土山も見え、ぐるりと回ってきた軌跡を一気に眺めることが出来る。

水の透明度が高く、湖面には輝く小波が光っていて、眺めていると時間を忘れてしまう。

 

味も魅力の近江

滋賀県は農業、畜産業が盛んなため新鮮な食材が豊富である。琵琶湖周辺では、この食材を活かした工夫あふれる料理に出会うことができる。

 

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たとえば大津の和食「くし屋敷」。浜大津の駅の近くにある。

ご主人の小川さんによると、近江の食材に、とことんこだわっているとのこと。どのメニューにも唸らされるが、中でも「近江牛丼」は絶品。近江の黒米ご飯に小松菜やパプリカの野菜ととろけそうな近江牛がのっている。これはお勧め。

 

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近江発で、全国的に知られるスイーツの銘店もある。安土山に近い近江八幡の「ラ コリーナ近江八幡」がそれ。同店を経営する「たねやグループ」は140年以上の歴史をもつ和・洋菓子の老舗。二階のカフェでいただくバームクーヘンは一味違う。ふわふわとした食感、程よい甘さが、城跡歩きの疲れを癒してくれた。ショップ内には出来たてバームクーヘンや美味しそうな和菓子が並ぶ。

 

琵琶湖は回ってみなければわからない。という結論

走行距離にして一周200㎞の琵琶湖は広い。だが信長という人物を通すと琵琶湖四方の役割が明確になり、興味が尽きない分、長い距離をそれほど感じることなく一周を終えた。

信長の合理性は、商業を振興し、その商品を供給する工業にまで着目したことであった。近江の地から生まれた近江商人の商業理念に「三方よし」という言葉がある。「売り手よし、買い手よし、世間よし」というもので、この近江商人から現在の日本を代表する企業が多く生まれている。

 

初めて訪れた琵琶湖は、青く、静かだった。

ところどころで、車を止め湖岸に立ち寄ると、湖面に釣り糸をたらしている人や、砂浜で肩を並べる老夫婦、湖上を行くボートに出会う。

数々の歴史をみつめてきた琵琶湖も今は穏やかに人々を見守っているようだった。

 

走行距離は1000キロを越える旅。こういうときタイヤの低燃費性能のありがたさを実感する。

興味がわいたら、文献やネットで調べることもできるけれど、やはり実際に出かけてみて、体感し、理解し、納得するのが一番楽しい。満足感とゆとりのある運転で長距離ドライブも実現できるものだ。

まだまだ興味は尽きない。次はどこに行こう。

 

文 岡よしみ

取材協力

くし屋敷  住所:大津市中央2-2-9 電話:077-527-1001

ラ コリーナ近江八幡  住所:滋賀県近江八幡市北之庄町 ラ コリーナ電話:0748-33-6666

 

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